近所にO君というサッカー少年がいる。今は高校生だが、彼のことを少し書きたいと思う。
O君は、うちの長男が一年生の時の5年生。同じチームの言わば先輩だ。
O君は、小学生の時、いつも大好きなJリーグのチームユニフォームを着て、暇さえあれば近所の公園でサッカーボールを蹴っている、典型的なサッカー少年だった。
チームで長男のことをよくめんどう見てくれたので、近所の公園でサッカーの練習をしているのを見かけると、あ!ニイニイのお父さん!こんちわ!と元気に挨拶してくれたし、こちらからもよく声をかけていた。
うちの長男からすると、O君たちはチームのレジェンドみたいな存在だ。
なんといっても、5年生と6年生の時に市の大会で優勝、ブロック大会でもベスト8まで残り、このチームの黄金世代と言っても過言ではない。
そんなO君も小学校を卒業し、中学へ。残念ながら、Jリーグの下部はもちろん、どこのユースチームにも受からず、中学の部活でサッカーを続けたようだった。
噂によると、中学の部活の顧問は素人らしく、O君たちは、顧問に頼らず、自分たちで練習メニューや戦術を考え、試合に臨んでいたらしい。
ときどき、長男のサッカーの練習場に現れては、小学校時代のコーチに教えを乞う姿も何度も見かけた。
ちゃんとした指導者がいない中学の部活サッカー、それほど好成績を収められるわけがない。それでもO君はサッカーが大好きだったみたいだ。
あるとき、娘と一緒に近所の公園に遊びに行くと、O君がボールを蹴っているのを久しぶりに見かけた。
背も大きくなっていて、自分と同じぐらい。もともと痩せ型なので、体は細いのだけれど、公園の壁に向かって蹴るフリーキックは、柔らかく弧を描いたり、力強くドーンと壁にぶつかったりしていた。
少し休憩した様子が見えたので、よう!と声をかけてみた。
ぶっきらぼうに、どもっす。と声変わりした声で返事をする。
いかにも思春期らしい対応に、逆にかわいらしさを感じる。
あれ?もう中三だっけ?
そうっす。
受験かあ。
受験っす。
がんばって。
はい。
どうやら勉強の息抜きに公園に来たようだった。再び彼はボールを蹴り始めた。
相変わらず、サッカーのユニフォームを着ていたけれど、Jリーグじゃなくて、イタリアのチームのものだった。
それから、二年たった。O君は高校生になっていた。
昨年の長男のチームの親子サッカー大会に、O君はOBとしてやってきた。
このチームのレジェンドの登場に、5年生や6年生の子ども達は、あ!Oが来た!
O!O〜!と呼び捨てで声をかける。大人気だ。
O君は照れ臭そうに、うつむきながら、コーチ達のところに挨拶に行った。
しばらくすると、O君の方から俺に挨拶してきた。意外だった。だって俺はただの近所のおっさんだ。
イチイチさん、ご無沙汰っす!
中学の時に公園で会った時とは全然違う、明るい挨拶だ。そして、身長も伸びて、俺よりも5センチ以上高い。
よう!人気者じゃん!みんなO~!って。
小学生だから呼び捨てでいいですけどね、中学生だったらぶっ飛ばしますよ!
高校でサッカーやってんだろ?
今年の夏に、退部しました。
え?そうなの?なんで?
そんなことより、息子さん、すごいじゃないですか!
リフティング!800回超え!
ああ、あれしか取り柄がないからな!
あ、同級生が来たんで、また!
O君は笑顔で去って行った。
きっと、辞めた理由を話したくなかったんだろう。
彼がサッカーを辞めてしまったのは、決して、サッカーが嫌いになったからではない。
むしろ好きだが辞めざるを得なかった理由があったみたいだ。家庭の事情なのか、健康上の理由なのか、その理由を知ることはない。
しかし、彼がいまだにサッカーを愛してやまないことは明白に知ることができる。
O君を小学生時代に指導したコーチは、今、うちの長男を指導していただいている。
そのコーチの話だと、O君は、今、自分の卒業した中学のサッカー部で顧問の手伝いをしているらしい。
学校が終わった後や、土日、後輩たちの面倒をみて、サッカーとの関わりを切らさないようにしているのだろう。中学の部活の顧問は、先ほども書いたように、サッカーに関しては素人なので、練習メニューや戦術、選手の起用などは、実質的にO君が仕切っているようだ。もちろん、うるさい時代だから、顧問の先生がしっかり管理責任を負っていると思われる。父兄の中には、高校生のコーチなんて、、、と指導に不満や文句を言ってくる人もいるらしい。でも彼は、そんな大人の声なんか、ものともせず、サッカーに関わることをやめようとしない。
時々、俺はこの中学校のグランドの前を通ることがある。
厳しい表情で後輩たちを指導するO君をみかける。
彼は、指導者としてジャージを着ている。子供のころみたいにユニフォームは着ていない。
プロのサッカー選手(Jリーガー)になれるのは1000人に一人と言われている。
たった一人のプロ選手とそうではない999人の人間がいる。それは、たった一人の成功者と999人の脱落者なのだろうか?
フットボールに魅了されて、52歳になってもプレイするプロ選手、日本代表に選ばれる選手、試合を裁く審判、現役を引退した解説者、これからプロを目指す少年少女たち、子ども達を指導するお父さんコーチ達、スタジアムで熱狂するサポーター、草サッカーに燃えるおじさんたち、こどものサッカーを応援するお母さんたち、そして、サッカーに関わり続けようと模索する若者、、、みんなフットボールに魅了され、フットボールという名の熱病にかかっている。
願わくは、O君の熱が冷めることがなく、彼だけの1/1000の道が開けることを、同じフットボールという名の熱病にかかった一人として、陰ながら応援していたい。
※スポーツライターの金子達仁さんの著書に「熱病フットボール」というタイトルの本があり、「フットボールという名の熱病」という表現はここからお借りしましました。