ヒヨコ 7歳
12月21日はヒヨコちゃん(仮名 小1)の7歳の誕生日だった。
もう7年も経つんだね。
幸いにも俺は、ニイニイの出産にもヒヨコちゃんの出産にも立ち会うことが出来た、幸せ者だ。
7年前、嫁ちゃんは妊娠高血圧症候群で11月の後半から入院してた。
幸い、ウチのすぐ近くに嫁ちゃんの両親が住んでいるので、幼稚園に上がる前だったニイニイは日中、おじいちゃんおばあちゃんちで面倒見てもらって、夜は二人で過ごしていた。
時々、ニイニイはママに逢いたいよう、と泣いたりしてた。
今思うと、ニイニイもつらい思いしたなあ、、、
ヒヨコちゃんの予定日は、確か1月の下旬だった覚えがある。
その日は、嫁ちゃんが、妊娠高血圧で、自然分娩できるかどうか、薬で検査する日だった。
何かあった時のために、俺は会社を休んで、自宅で待機してた。
そしたら、午後の2時ごろに携帯が鳴って、電話口で嫁ちゃんが、苦しそうに、検査してたら陣痛来た、、、すぐ来て、、、、
ええ?一か月以上早いじゃん!
慌ててニイニイを嫁ちゃんの両親に預けて、ダッシュで病院へ、
行くと、陣痛室で嫁ちゃんが苦しそうにしてる。
生まれるの?
うん、
マジか?
しばらくすると、分娩室へ移動、、
???
早くね?
実はニイニイの時は陣痛が来てから30時間もかかったので、自分はまたそれぐらいかかるだろうと覚悟していた。
ところが、医師が、もう生まれますよー
マジかよ、二人目は早いな!
一生懸命、陣痛に耐える嫁ちゃん。
男は残念なことに、それを見守ることしかできない。嫁ちゃんの手を握ると、嫁ちゃんもギュッと握り返す。
二人で呼吸を合わせる。
ふうー、ふうー、と大きく息を吐いて、、、
それでも、その時思ったのは、男って無力だなと、、、
二人の赤ちゃんなのに、苦しい思いをするのはいつだって嫁ちゃんだ。
俺は手を握ったり、汗を拭いてあげたりしかできないんだから。
女医さんが、はい、ぐっといきんでください。
はい、ちから入れて、はい!
ぐっと、、、
嫁ちゃんが、ううううー
と大きな声で唸ると、
女医さんが、はい、頭出てきましたよ。
もうすぐですよ。
はい、生まれましたよー
女の子ですねー
ニイニイの時もそうだったけど、
子どもが生まれた瞬間って、
世界中に向かってありがとうございますっ!て叫びたくなるぐらい、全身の奥底から感謝の気持ちが湧いてくるんだよな。
俺は、女医さんや、看護師さんに、ありがとうございました!
って言いかけたけど、最後まで言葉にすることが出来ずに、泣いてしまった。
嬉しくて嬉しくて、、
予定日よりかなり早く生まれたヒヨコちゃんは、2200gしかなくて、ちっちゃくて、鶏ガラみたいだった。
それでも、しっかりと産声をあげて、元気だった。
女医さんが、、
お父さん、抱きますか?
と言うので、俺は、
僕じゃなくて、妻に先に抱かせてあげてくださいと言った。だって、頑張って産んでくれたのは嫁ちゃんだ。
嫁ちゃんは、ヒヨコちゃんを抱いて、
はああ、可愛いねー
と疲れ切った声で言うと、1分もたたないうちに、イチイチ君、抱っこしてあげて。疲れて落としちゃいそう。と言って、俺に抱かせてくれた。
ニイニイが2900gぐらいだったから、それに比べたらヒヨコちゃんはとても小さくて、軽くて、細くて、華奢だった。
ヒヨコちゃんは、早産で低体重出産児だったので、そのまま入院することになった。
俺は、近くにいた看護師さんに言った。
名前を決めてるんです。
ヒヨコちゃんの足につけられたタグには、すぐに名前が記入された。
ヒヨコちゃんの名前は嫁ちゃんと二人で随分前に決めていた。
つまんない拘りだけど、生まれた瞬間からちゃんと名前で呼んであげたかった。
この世に存在するのに、名前がないなんて、嫁ちゃんが産んでくれた、俺たちの大事な娘だもの、この世に生まれて落ちた瞬間から、この子に関わる全ての人に、名前で呼んで欲しいと、思っていたのだ。
その後、嫁ちゃんは一か月ほど、ヒヨコちゃんは二か月ほど入院して、保育機がなくても大丈夫になってから家にかえってきた。
なので、その年のクリスマスはニイニイと二人で過ごした。まだ4歳だったニイニイは寂しかっただろうな、、、
ヒヨコちゃんは、
ほんのちょっとのミルクを飲んでる途中で寝てしまう子だったのに、、、
毎晩、なかなか寝付かずに大変だったのに、
少しずつ大きくなって、オムツのサイズも大きくなり、、、、
寝返りをして、ハイハイをして、立ち上がって、歩いて、ママ、パパ、オニイちゃん、と言葉を覚え、、、、
あれからもう7年か。大きくなったね。
そして、これからも大きくなっていくよね。
ヒヨコちゃん、ありがとう。
俺と嫁ちゃんのところに生まれてきてくれて。